大久保利通(おおくぼとしみち)
(文政13年8月10日~明治11年4月14日)
正助、一蔵とも。
鹿児島出身。
薩摩藩士。
元は公武合体論者だったが、
禁門の変から長州征伐などを経て、
武力倒幕論者に転じ、
大政奉還から王政復古に暗躍する。
慶応3年10月14日朝、
薩摩藩への討幕の密勅受領の為、
正親町三条実愛邸を訪れた際、
その帰途に、門前で近藤勇と出会うが、
互いに面識はなかった物と思われる。
密勅を持ち薩摩に急行した大久保利通が、
再び入京した同年11月15日、
坂本竜馬殺害事件が発生。
岩倉具視から事件を知らされた大久保利通は、
16日から19日まで文通し、
新撰組の犯行を確信しているが、
文面通りの意味か何か裏があるのか真偽は不明。
〈スポンサードリンク〉
紀尾井坂の変
王政復古により参与となり、
明治新政府では参議。
その後も要職を歴任し、不安定な新政府を支えたが、
東京の紀尾井坂で不平士族6名に暗殺された。
(画像は暗殺時に大久保が所持していた手紙)
享年49歳。
墓所は、東京都港区南青山2丁目にある青山墓地。