阿比留 鋭三郎(あびるえいざぶろう)
(天保13年~文久3年4月6日)
壬生浪士組結成二十四士の一人。
元対馬藩士。
江戸に住み、北辰一刀流玄武館にて、
剣術を学ぶ。
文久3年2月、
幕府徴募の浪士組に加わり、
三番組小頭、常見 一郎の組子として上洛。
浪士組が江戸へ帰ることが決まった後、
3月10日、近藤 勇らと京都残留を願い出て、
12日、会津藩御預かり壬生浪士組の一員となったが、
15日の守護職邸訪問は病気のため欠席する。
23日の建白にも参加できなかった。
両親が江戸に居るため、
周りも阿比留を江戸へ帰す心積もりがあったが、
病が重く、その年の4月6日に
22歳の若さで壬生で客死した。
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墓所は
京都市中京区壬生梛ノ宮町の壬生寺境内と
東京都北区滝野川7丁目の寿徳寺境外墓地にあり、
前者には
「阿比原栄三良」
後者には
「安比留栄三郎」
と刻まれている。