新井 忠雄(あらいただお)
(天保6年2月7日~明治24年2月15日)
荒井 只雄、俊蔵、陸之助、平 一業とも。
奥州岩城平出身。
新撰組隊士。
慶応元年5月ごろ京坂で入隊。
同年11月、近藤 勇の長州下りに
伊東 甲子太郎らと同行。
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慶応2年9月の三条制札事件に、
目付役として出動し、20両の報奨金を受ける。
慶応3年1月には伊東 甲子太郎らと
分離の事前工作のため九州へ旅立ち、
俊蔵の名で5月まで各地で遊説する。
8月に再び伊東と共に九州へ向かい、
帰京後の11月には同士募集のため江戸へ出立。
油小路の変および近藤 勇狙撃時には不在で、
鳥羽伏見の戦いでは薩摩軍に属した。
その時は陸之助を名乗っていた。
その後、赤報隊に加わり捕縛されるが、
後に許されて越後に出兵。
戦後は司法省に出仕し、明治19年に退官する。
東京市下谷区仲御徒町に住んでいたが病死。
享年57歳。
墓所は東京都台東区谷中の谷中霊園にある。
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