有吉 熊次郎(ありよしくまじろう)
(天保13年~元治元年7月19日)
良明とも。
萩藩士。
松下村塾にて学ぶ。
文久元年に江戸上府、
翌2年12月に、高杉 晋作らと
品川御殿山英国公使館を焼き討ちした。
文久3年、学習院出仕となって上京したが、
堺町門の変のため、山口へ帰国。
その際、久坂 玄端と八幡隊を結成する。
同年暮れに再び江戸に行き、
朝議回復を図る。
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池田屋事件
川原町御池の長州藩邸から池田屋の会合に出向き、
新撰組の急襲を受ける。
なんとか襲撃をかいくぐり長州屋敷へ逃れる。
事件の顛末を本国へ伝えるため、
6月7日、飛脚に変装して出立。
12日の朝、山口に到着し藩庁へ報告した。
しかし、その内容は重役の浦 靭負(うらゆきえ)が書きとどめているが、
吉田 稔麿、杉山 松助などの行動について明らかに真相がぼかされている。
6月中旬、八幡隊隊長となって
京都へ出撃。
禁門の変で負傷し、
鷹司邸において自刃した。
享年23歳。
墓所は
京都東山霊山と山口市朝日山招魂場にある。
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