池田 徳太郎(いけだ とくたろう)
(天保2年10月~明治7年9月12日)
虎尾の会(浪士組)
安芸国豊田郡忠海村の医者、池田 元琳の子。
15歳の時、九州へ遊学。
24歳の時、江戸に出て万延元年に麹町に塾を開く。
清川 八郎の虎尾の会に入り、幕府に睨まれて石坂らと共に逮捕される。
清川 八郎の浪士募集には石坂と共に甲州その他を回る。
上洛に際しては、近藤 勇とともに先行して宿割りを行った。
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京都の新徳治で、清川 八郎が朝廷に建白書を提出するため浪士の署名を求めたが、
池田は父の病気を理由に、ただ一人署名を断り浪士組から去った。
元治元年9月、
広島藩士に登用され、五人扶持をもらい、国事に奔走した。
戊辰戦争では、久我 通久(こが みちつね)の東北遊撃軍の副参謀を務め、
のちに参謀に。
明治2年7月、
青森県権知事に。
次いで、新治(茨城県)島根県、両県で権令を経て、
明治6年、岩手県参事に。
翌7年には青森県権令となったが、
着任して幾らも経たないうちに病死した。
享年44歳であった。
【清川八郎の虎尾の会】池田 徳太郎(いけだ とくたろう)(池田 種徳)【浪士組】
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