赤羽 音吉(あかばおときち)
(?~明治元年11月5日)
回天隊隊士?
元会津藩士で、六石二人扶持。
明治元年11月5日に、
旧幕府軍の松前城攻撃で戦死した。
墓碑は北海道松前郡松前町日蓮宗法華寺に現存する。
墓碑の正面には
「義進院勇岳日英居士」
裏面に
「慶応四戊辰年十一月五日会津臣赤羽音吉」
と刻まれている。
間宮魁の『箱館脱走人名』に
「新撰組隊士・松前戦死赤羽音吉」
とあるが、
中島登ら複数の新撰組隊士の名簿には、
赤羽音吉の名は記載されていない。
墓碑にある、
「慶応四戊辰年十一月五日」は土方歳三のいる旧幕府軍の、
松前城攻撃の日での戦死である。
会津藩の、
『戊辰殉難追悼録』
には、浅倉 早之助隊附と記載されている。
浅倉は元回天隊隊長で、
新撰組隊士、石井 勇次郎は
『略記』の11月遡日の項に、
「士官隊五十人ヲ率ル者、朝倉隼之進也」
と記載している。
この士官隊は、土方歳三に付属し、
松前城攻撃に参加した回天隊を指し、
赤羽は新撰組隊士ではなかったと思われる。
享年26歳。
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