秋月右京亮邸跡(あきづきうきょうのすけていあと)
(東京都千代田区丸の内2丁目)
慶応4年1月23日から、
新撰組がしばらくの間、江戸屯所とした大名邸。
現、三菱東京UFJ銀行本店の場所になる。
江戸帰還後、品川釜屋で休陣した新撰組隊士は、
大名小路鍛冶橋の、
元日向高鍋藩主 秋月右京亮邸を屯所として
あてがわれた。
永倉 新八の記録では、
1月20日に通達されたという。
この時、約30名の負傷隊士らは、
和泉橋医学所などに収容されていたため、
稼働隊士は多くはなかった。
新撰組の金銀出入帳には、
同月23日以降、2月15日まで4度にわたって、
大工 仙蔵なる人物に計90両支払った記録があり、
邸内の修繕が行われたものとみられる。
また。2月15日には同屯所で
総額164両1分の給金が隊士達に支払われた記録が残されている。
江戸屯所近辺での公的活動記録は残されていないが、
隊士らは2月12日から、上野寛永寺大慈院で、
謹慎中の徳川 慶喜、護衛のために出動したとされている
〈スポンサードリンク〉