遠藤文七郎(えんどうぶんしちろう)
(天保7年~明治32年4月20日)
允信(さねのぶ)とも。
陸奥栗原郡川口村出身。
仙台藩執政。
藩内勤皇派の領袖であった遠藤文七郎は、
文久2年、藩命により一時上京するが、
翌3年1月に政争に敗れて閉門処分となる。
5年後の慶応4年9月、
新政府軍に反抗した奥羽越列藩同盟が敗北し、
藩内の佐幕派が失脚したため、閉門を解かれ執政に復職する。
9月12日、
仙台藩の降伏恭順に抗議する
榎本武揚、土方歳三と会見するが決裂。
その際、遠藤文七郎は土方歳三の事を
「斗屑の小人、論ずるに足らず」
と評したという。
維新後は、藩大参時となるが、のちに神職に転じ、
塩釜神社の宮司などを務めた。
享年64歳。
墓所は宮城県栗原郡花山村の城国寺にある。
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【尊王攘夷派の仙台藩執政】遠藤文七郎(えんどうぶんしちろう)【塩釜神社宮司』
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