大坂角力力士斬殺事件(おおさかすもうりきしざんさつじけん)
文久3年6月3日に起きた事件。
6月1日に大坂で天下浪士と偽名で人に斬りつける事件が起こったので、
壬生浪士組(新撰組)隊士芹沢鴨ら10名が大坂に向かった。
当時の隊士は、
芹沢鴨、
近藤勇、
山南敬助、
沖田総司、
井上源三郎、
平山五郎、
野口健司、
永倉新八、
原田左之助、
斎藤一
とされる。
犯人を捕らえ、事件はほどなく解決した。
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乱闘事件
翌3日、
隊士たちが小舟で川下りをしている時、
斎藤一が腹痛を訴え会所で手当てをしていた際、
相撲取り30名ほどと口論になる。
その場では大きな騒ぎにならなかったが、
近くで酒宴中に先ほどの相撲取りが鉢金を付け、
樫棒を持って乱入してきて、
その場にいた隊士も刀を抜き乱闘になった。
その場にいなかった近藤勇は、
事件の様子を聞きその報告書を
京都守護職と、大坂西町奉行所へ提出した。
新撰組側は無傷であったが、
相撲取り側は14名が手傷を負い、
関取 熊川熊次郎が翌朝死に、
他3名が死にかかっていると報告している。
永倉新八の
『新選組顛末記』
には、7月15日のことと記されている。
この事件が元で、
大坂西町奉行所与力内山彦次郎は暗殺されたと言われているが、
的確な証拠は残っていない。