今井 三郎右衛門(いまい さぶろうえもん)
(文政2~元治元年7月18日)
但馬国豊岡藩士。
名は有忠。
文久元年、
尊攘の志を持って上京し、
宮津三郎と
名を変えて国事に奔走する。
元治元年には、
宮部鼎蔵や吉田稔麿らと交わって、
朝議回復を企てた。
新撰組の池田屋襲撃は、
それ自体を目的にしたというより、
京都守護職の会津藩が在京の長州人や尊攘志士を徹底的に排除するきっかけに
利用した感が強い。
今井もまたその犠牲者の一人となる。
池田屋事件後の浪人狩りで捕らえられ、
六角獄において斬られた。
享年46歳。
墓所は
京都東山霊山にある。
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また上京区下立売通紙屋川東入行衛町竹林寺の
六角獄刑死者の墓碑にも合葬されている。